2011年6月
ハワイから来たゲーリー
いつの間にか自分のヨットと共にふらっといなくなっていたゲーリーが2年ぶりに戻ってきました。
彼は6年前にパラオに来てから、何ヶ月かするとヨットは停泊地に係留したまましばらくいなくなって、それから何ヶ月かして戻っているなと思っているとまたいつの間にか消えていて、どうもその間はグアムやフィリピンなどへ出稼ぎに行っているようです。
ヨットの停泊場所が近いご近所さんなのに、いつも軽い挨拶くらいでお互いの名前しか知らなかったので、今回は彼のヨットへ行って、怪しげだけど少し気になる彼の素性を探るためにインタビューしてきました。

アメリカ人のゲーリーは年齢不詳、本人は26歳にしておいてくれと言うのだけど、おそらくその2倍だと思う。
彼のヨットはアメリカの東海岸で建造されてから83年経っていて、何代もオーナーが替わり、13年前にハワイで彼が手に入れてから、タヒチ、サモア、フィジー、トンガ、ソロモン諸島などの太平洋各地を航海してパラオにやってきました。

ヨットは長さが48フィート(約14.5m)、日本なら大型艇の部類になるのだけどスマートな細身で、レースで速く走ることだけを目的に設計された、当時のレースの様子を偲ばせる優雅な船体をしています。
外洋ではなく内海の比較的静かな海面でのレースを想定した設計で、昔のアメリカズカップ艇をそのまま少し小さくしたようなデザインです。
近年になってからはヨットもクルージングやいろいろな目的を持つようになり、NAKIRI号のようなカタマラン艇や、機能が優先されるようなデザインになったのだけど、当時に建造されたヨットはレースをするのが主な遊び方だったようで、余分な物は一切無い簡素なスタイルです。
このレースの規格によって設計されたヨットは、その頃には数多く造られたようだけど、今はコレクターがレストアした骨董品のようなのが残っているくらいで日本には一隻もなく、それがゲーリーのように外洋を走っているというのは奇跡のようなものです。

当時のレースでは微妙な操作をするのには8人のクルーが必要だったのに、ゲーリーは太平洋各地を一人で、しかも随分前に途中でエンジンが故障をしてからは、パラオのように入り組んだサンゴ礁の奥にある目的の停泊地までも風の力だけで進入して行ったそうで、かなりのセーリング技術を持っている彼は案外スゴい人かもしれません。

風の良い日には、まるで小さいディンギーを扱うような感じで、停泊地からセールを上げてスルスルと出て行ってセーリングを楽しんでいます。
ある夕方、急に風がぴたっと無くなった時に私達のボートに出くわしたことがあって、48フィート艇をパドルで漕いでいたので、引っ張ろうかと言うと、もう近いからいいよと言って、それもまた楽しそうでした。

今回、船内を覗かせてもらうと、本来エンジンがある場所には普通のエンジンの十分の一くらいの重さしかないバッテリーで動く小さな電動モーターが取り付けてありました。
セールで風だけで走っている時には、プロペラシャフトは逆に作用するのでモーターは発電機になって充電するようになり、電装品には十分な余裕があるようで、外見とは違った最新装備もあります。

これから何処へ行くのかと聞いたら、彼女ができたら目的地が変わるかもしれないけど、今の所まったく予定も何も考えていないと言って、とにかくパラオの海が最高のお気に入りのようです。